2005.06.25 公開

ポーランド <2004年冬季>

「 ポーランド旅行のいきさつ 」


ポーランドから初めて届いた1枚の写真


 「ポーランド旅行記<2004年冬季>」のページにお越し頂きありがとうございます。この旅行記では、海外旅行としてはややマイナーであるポーランド旅行を私の経験した旅と、また、ポーランドの文化を交えながらご紹介します。少しでも多くの方々にポーランドについて興味を持っていただけると幸いです。ここで、私がポーランドに行くことになったいきさつを最初にご紹介したいと思います。




 私がポーランドに行くことになったきっかけは、否応もなしにポーランド人男性「Zbyszek(ビシェク)」と出会ったことです。私は、平成16年(2004年)10月ごろ、チャットで彼と知り合いました。

 昔から、外国に興味がありいつか海外に住んで見たいというのは今でも私の夢ですし、住めないまでも多くの交流を通し、外国の文化や生活、慣習、常識を生活レベルで体験し感じることは私の喜びでもあります。

 私が小学校1年生の時は、近所にニュージーランドからやってきた、ジミー・リバセッチ(小1)とキャサリン・リバセッチ(小3)と大変思いで深い関係を1年ちょっと築きあいました(残念ながら今はお互い行方不明です)。また、リトルリーグ(少年野球のリーグ)時代は、1年おきにアメリカの代表チームとの相互訪問(私は小6の時に迎える方だった)があり、アメリカ人との交流もありました。また、私が初めて見た外国人は、私が3歳の時に通りですれ違ったイギリス人の金髪女性であることは今でも覚えています(コレ本当です)。その時は、子どもながら大変驚いていたようです。ちなみに小学1年から小学3年まで英語の塾に行っていました(アルファベットしか覚えられなかったですが・・・、そもそもその時は英語が何かわかっていませんでした)。と、わりと小さい頃から接する機会があり、自ずと興味を持つようになったようです。

 さて今回ポーランド人のビシェクとの出会いですが、彼とは私が時々しているチャットの場で知り合いました。実際は、チャットでは多くの友達と出会っています。そして、多くのメール交換や時々ですが国際電話(ちなみに、英会話能力は長けていません。特にヒアリングが)で話したりしています。ハローとか言って笑っているだけですが...(笑)。

 チャットに参加する人々は、老若男女、千差万別、地域も様々なところからリアルタイムで参加し文字による会話がなされます。私が参加しているチャットは、「Yahoo! UK & IRELAND」です。ここには多くの話題のルームがあり、日本同様多くのチャットが行われています。なかでも私がいつも参加するルームは「International room」です。文字通り国際的な部屋です。ここには、イギリス、アイルランドをはじめ、ヨーロッパ各国(ドイツ人がやや少ないかな?)、ロシアや東南アジア各国、インド、アフリカから南米から人が集まります。中国人と韓国人がほとんどいないのは残念ですが、ヨーロッパが昼の時間帯は、概ね40人ぐらい、日本が昼の時間帯は10~20人程度がいつも参加しています。わりと程よい人数ですので、相手から声をかけられることはしょっちゅうです。最初は、「Hi ...、How are you?」ですね。ここから会話は始まります。もちろん最初の頃は、英語の未熟な自分としては戸惑いますが、1~2ヶ月もすればそこそこ会話が出来るようになります。

 日本では、チャットはやや偏見があったり、また、実際に話している相手が本当にそうなのか?などと、疑念を持つのは当たり前ですが、海外のチャットに参加する時の私は、もっぱら英語の勉強が目的だったり、外国人とただ話すだけで楽しかったりとそのようなスタンスでチャットをしています。あわよくば、外国人とメル友になったり出来たらなと思ったりしています。が、最近は外国人のメル友だらけで、少しセーブしています(笑)。

 そんな折、(日本時間で午前0時から午前2時ごろ)チャットをしていると、いつものように、「Hi ...」と声をかけられました。平成16年10月中旬ごろだったと思います。その「Hi」は、私が初めて目にしたポーランド人でした。私もフレンドリーな方なので、相手がどこの国でも仲良く話します。時々、「はぁ~、また男か...」なんて思うことはあるかどうかは秘密ですが(笑)。

 もちろん、私がそのポーランド人と話し始めた頃、まさか自分が彼の家に行くとは、全く想像することは出来ませんでした。みんなは良く言います。「Come at once!(一度来いよ)」、私も「very good. I go to you tomorrow(明日行くよ)」なんて、ジョークを言い合います。しかし、外国人は案外ジョークじゃないんですね。島国日本は、外国に行くとなると大騒動ですが、地続きのヨーロッパは、外国に行くのは日常茶飯事です。日々のスーパーの買い物に車で買い物に行ったりなんてことは当たり前です。ですので、本気で行こうとすると、意図も簡単に外国人のその人に会いに行けてしまう雰囲気です。

 私が知ったそのポーランド人(ビシェク)とは、良くチャットをしました。彼はチャット初心者で、また、世界で最も難しい言語として有名なポーランド語を母国語としている彼ですが、英語は完璧に知っているわけではないようで、ちょっと難しい単語が出ると、辞書を引くせいか、次の返答にやや時間がかかります。(ちなみに、彼はドイツ語、ロシア語も使います。ポーランド語の次に詳しいのはドイツ語とのことです)。そのような訳で私は彼と非常にうまく英語で話すことが出来ます。これは、イギリス人やアメリカ人など英語を母国語としている人は、英語を極めてラフに使います。日本人が日本語を色々な言い方で使うのと同じです。そのため、彼ら英語人の英語は、私たち外国語を母国語としている人には非常にわかりにくいものです。まして文字のチャットになると「I have to go > I have 2 go」とか「Thank you > ty」などと、いきなり数字が混ざるわ、略語だはで訳わからないのはしょっちゅうです。その点、英語を母国語としない(英語を勉強している)人とは、お互い正しい英語を使いますので非常に話しがしやすいです。また、お互い辞書を使うので、共通の単語が多く出てきます。そういう意味で、私はビシェクと良く話しをしていました。

 ある時、彼はこう言いました。「My door opens for you always」。直訳すると「私の玄関はあなたのためにいつも開いています」。これは、彼との会話でポーランドに来ないかというような話しになってきた時に出てきた言葉です。私は、この言葉に非常に引きつけられました。彼とは、色々と話しをしていて、ポーランド人の考え方と日本人の考え方は、結構同じだなという印象を持ち始めていただけに、彼のこの言葉に重みを感じました。決して、ジョークではないんだ。本当にそう思っているんだ、と。私がもし行く気になれば、彼は私を迎え入れてくれるだろう。全く知らない国に自分が言っても、彼なら安心かもしれないと思い始めたのは11月中旬ごろでした。

 そして、私はその時以来、知らない国ポーランドを勉強するようになりました。もちろんその一助を彼は与えてくれました。私は、同時に現地での行動のプランを作成するようになり、結果的に最終のプラン(旅程をご参照下さい)は4、5番目のものです。もちろん、一つ目のプランからビシェクに相談の上、作成しておりましたが、彼はいつも「いつ、飛行機のチケットを取るんだ?」としつこいように聞いてきました。なかなか決まらない私のプランに時々怒る彼でもありました。しかし、その分、私は「彼の家の玄関が本当に私のために開いているんだ」と確信することにもなりました。

 最終的に日本での多くのスケジュールを調整しつつプランが出来た時は、12月10日を過ぎており、出発の12月15日は目前でした。今回、航空チケットを手配したJTBさんには明後日か、明日で開いている便はありませんか?という手配の仕方でした。しかし、その時の私は、是が非でも行きたい、また、ビシェクの期待を裏切りたくないという気持ちが全てでした。12月15日出発出来るか、否かで恐らくその後の将来にも大きく影響するだろうと、その時の私は思っていました。なぜなら、その時の私はすでにビシェクと親友の間柄になっていたからです。昔から外国人との交流を夢見てきた私は、ビシェクと彼の家族を裏切るわけにはいきませんでした。私の到着を待ち望んでくれていたことを、私は非常によくわかっていたからです。

 今回チャットで知り合ったビシェクの家に行く旅は、このようないきさつで始まりました。そして、最終的にその旅は予定通り終わりました。しかし、私はこの旅自体がこれから将来生まれるであろう多くのいきさつだと思えて仕方がありません。その一通過点であろう出発までの出来事は、私にとって一生涯忘れ得ぬものになったようです。